なぜ迷惑をかけたことを調べるのか?
吉本伊信先生は内観研修所に専念する以前は大きな会社の経営者でした。
その経験を活かして、よく内観三項目を「貸借対照表」に例えて説明しておりました。
商売の世界に「貸借対象表」というものがあります。自分が貸した分、借りた分のバランスを知るためのものです。貸借というものはバランスが取れてないといけません。内観の三項目の内の最初の二つ「してもらったこと」「お返ししたこと」は、二つの事実を調べて、バランスが取れているかを検証することで自己観察を深めることができる項目となっています。
では、なぜ「迷惑をかけたこと」を調べて「迷惑をかけられたこと」を調べないのか?
人間はイヤだった思い出、辛かった記憶というものが引き出しの一番手前にたくさん入っています。内観中に過去の出来事を思い出した際、「こんな酷いことを言われた」「辛いことをされた」「私はこんな不遇な環境で生きてきた」という事は常日頃感じていることなので、割と簡単に思い出しやすいようです。
様々な悩みを抱えていらっしゃった方の多くが、昔されて嫌だったことに捉われて長年生きています。怒り・悲しみ・憎しみという感情を抱きながら日常生活を過ごしているので、人生に行き詰まりを感じるのです。
つまり日常生活において、これまでの人生でたくさんの「迷惑かけられたこと(被害者意識)」はたくさん考えているのに、「迷惑をかけたこと」はあまり深く考えていません。これではバランスが取れないので、内観では「迷惑をかけたこと」だけを調べるのです。
確かに「迷惑をかけられた」というのは事実かもしれません。内観で昔のことを思い出そうとすると、一番最初に記憶に出てくるのが「迷惑をかけられた記憶」です。これを無理やりに解釈して理解しようとすることが内観ではありません。
内観が進まず、苦しんでいる方の中には「毎日親が自分を叱ってばかりだったので、私は委縮した子になっていました。表面では良い子を演じて、本心では親を嫌っていたので迷惑かけました。本当は親を大切にしないといけないのに、親のしてくれたことを受け入れられない自分に気づきました。これからは気をつけます。」と、こんな感じです。
まず、ずっと引きずっていてすぐに浮かんでくる思い出、「叱られて嫌だった記憶」=「迷惑をかけられたこと」だけを思い出します。そして「だから自分はこういう態度をとったんだ」という言い訳をします。さらに自己分析をした上で、「こうしなければならない」と頭で理解しようとしています。
「感謝しなければならない、反省しなければならない、自分の姿に気づかないといけない」と頭で考えている間は内観になりません。この「迷惑をかけられた記憶」を内観の場で大事に抱えていても、これまでの人生が変わることはないのです。これまでやってきた事と同じことをやっているだけですから。
一旦、「迷惑をかけられた事実」は置いといて、「迷惑をかけた事実」を具体的に見つけていきましょう。
また栃木県にある瞑想の森内観研修所の初代所長 柳田鶴声先生は「愛情の落穂拾い」という言葉を遺されました。この落穂というのが実は「迷惑をかけた」という行為の中にあるのです。一般的に愛情と聞くと「してもらったこと」を思い出した方が被愛感を感じやすいのではないかと思いますよね。しかし私たちが気づかずに見落として過ごしている愛情を探しましょうというのが「迷惑かけたこと」を調べる、つまり「愛情の落穂拾い」という意味なのです。
普段の日常生活では感じることができない深い愛情は、自分が迷惑をかけた裏側に存在しているというメッセージなのかもしれません。

