内観とメンタルトレーニングについて
メンタルが弱い人には傾向がある!?
「メンタルが弱い」という言葉を少し詳しく言うと、「ストレスを感じると精神が不安定な状態になる」ということです。メンタルが弱い人は感情をコントロールできるようになりたいと思っているのではないでしょうか?しかし喜怒哀楽という感情は決して悪いものではありません。辛い、悲しいという感情になるのは正常な反応であることを覚えておく必要があります。
何が問題なのかと言うと、ストレスの原因を深く、長く抱えているということなのです。そしてネガティブ感情に意識の焦点を合わせたまま抜け出すことが出来ないのです。また他人の言動に振り回されやすいという傾向もあるのではないでしょうか。このような状態になる人の多くは、悲観的で客観性を失っていることが共通しています。
ではどうすれば良いのかというと思考回路の修正が必要になってきます。この思考回路を修正する訓練こそがメンタルトレーニングなのです。
感情をコントロールする
先ほども言いましたが、喜怒哀楽という感情は誰にでもあり、悪いものではありません。感情をコントロールしたい人には二つのパターンがあります。
一つは自分の意のままにならないと気が済まない「イライラ」タイプの人です。このタイプは自分が感情的になってしまいやすく、言い争いになったり、相手を捻じ伏せようとします。これでは人間関係が上手くいきません。つまり根本には自己中心的な思想があり、自己中心性の自覚こそが感情のコントロールのカギとなります。
もう一つのパターンは相手の感情に振り回される「オロオロ」タイプです。このタイプは相手の言い分を理解しようとするよりも先に、必要以上にショックを受けてしまいます。その結果、自分を守ることが優先になってしまい、言い訳を考えたり、考えることを止めて現実逃避したり、場合によっては相手への反撃に全力を注ぐので、相手の意見が正しいのか間違っているのか考える余裕はありません。根本では被害者意識が強い傾向があります。感情に振り回されないようにするには「相手が伝えたい事実」と「相手の感情表現」を分けて捉え、問題の所在がどこにあるか見極める力を身につけないといけません。そのためには相手の立場に立つという訓練が必要でしょう。
「自己中心性の自覚」「事実を観る」「負の感情に捉われない」「相手の立場に立つ」「被害者意識から脱却する」これらの感情のコントロールに必要な訓練は全て内観で出来るのです。
自分の“分”を捉える
内観とは「自分を知る」ための方法だと言われます。では、本当の自分とは何なのでしょう?自分の何を知るのでしょうか?自分とは「自らの分」と書きますよね。自分を知るということを「自らの“分”を捉えること」という切り口でメンタルトレーニングについて考えてみたいと思います。
内観において「自分を知る」ためのコツは、自分の価値観や思い込みではなく「事実をありのまま観る」ということです。そして、その為の仕掛けとして内観三項目があるのです。「事実をありのままに観る」という訓練が出来てくると、不思議と周囲に左右されない・感情に振り回されない・真っ直ぐに自分の置かれた環境に立ち向かえるような感覚を多くの方々が体験しています。それは「なりたい自分像」ではなく、ありのままの自分の状態や状況、レベルを客観的に把握出来たからです。
今まで自分ではどうしようも出来ない問題だと思っていたのが、実は他人の“分”まで抱えて悩み苦しんでいた事に気付いた方がいます。一言で言えば「相手の問題」ということが分かったのです。他人の“分”まで背負い込んで人生を不幸にすることはないのです。
逆に、抱えている問題が自らの“分”の範疇であったのだと気づくこともあります。相手の問題だと思ってイライラしていたことが、実は自分の問題だったということに気づくと、自らの“分”という自覚が出てきます。つまり自分の問題は自分の物として認識して責任を取るように行動が変わるのです。内観によって事実をありのままに観て、受け入れることが出来たとき初めて、自らの”分”に自覚と責任感を持って取り組むことが出来るようになるわけです。
自らの“分”を知るということは直面している問題の責任が自分の場所にあるのか相手の問題なのか判断する軸を持つことが出来たということです。このように自らの“分”を捉えると他人の“分”に振り回されることはなくなります。客観的な事実を元に物事の本質を把握することが出来るため、周囲に振り回されることがなくなるのです。
自律力を鍛える
内観では検事が取り調べを行うように「自分で自分を問い詰める」という修行的要素が存在します。自分自身の出来れば人には見せたくないような悪い部分が内観で浮き彫りになることも多々あります。それは普段の生活ではごまかすことが出来ても、内観の法座ではそうもいきません。どうしても受け入れたくない自分の側面を自分自身の力で直視することで精神面に健康的な負荷がかかります。それが自分自身を正しい方向へ導いていく力、つまり「自律」を促すことに繋がるのです。
受け入れたくない自分の側面とは自己中心的な自分ということです。先ほども言いましたが自己中心性の自覚こそが自律=感情のコントロールに繋がるのです。逆に言えば「自分は自己中じゃない」と思っている人ほど感情のコントロールが下手な人間という事です。
忍耐力と集中力を鍛える
それから内観では厳格な「型」が存在します。スポーツでいう所の「ルール」です。代表される型として内観三項目が挙げられます。内観中は「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の想起のみに集中して一週間取り組みます。与えられたテーマにしっかりとアプローチする訓練を起きている間の112時間絶え間なく行うのです。
もちろん集中力が切れないよう研修中は様々な工夫が凝らされておりますが、途中でドロップアウトせず完遂するだけでもかなりの忍耐力と集中力を鍛える時間となるでしょうし、相応の達成感と充実感があることは間違いありません。
一般的には「集中力を高めること」「目標を明確に設定してやるべきことを理解しておくこと」「反復練習をすること」などがメンタルトレーニングとして紹介されますが、まさに内観はそれに当てはまっていると言えるでしょう。
Q:「迷惑をかけたこと」を思い出すと罪悪感が出てきてメンタルに悪影響が出ませんか?
これは多くの方から頂くご質問の一つです。内観において罪悪感は重要なキーワードになりますが、罪悪感には2種類あり、「健康的な罪悪感」と「不健全な罪悪感」に区別しておく必要があります。この二つは全く逆の作用を引き起こすので気を付けなければなりません。不健全な罪悪感があるうちは内観が深まらないからです。とは言え初めて内観をされる方は区別がつかないので、私たちのような面接者の存在が必要不可欠となってきます。参考までに不健全な罪悪感を抱いている人の内観中における特徴を以下に挙げておきます。
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客観的事実に基づかない、本質的に自己の罪を認めておらず言い訳をする
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他者に対する攻撃性が伏在する、過去にこだわり未来に絶望している
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他者への依存的執着が強い、不安が強い、被害者意識がある
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自己防衛的、退行した精神状態、具体的でなく裏付けに乏しい
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一定の体験に捉われ抜け出すことが出来ない
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「迷惑をかけた事実」を事実として受け止められない
このような状態を脱却するために内観では「具体的な事実」を思い出すよう促すのです。
こうして具体的な事実に基づいて「迷惑をかけたこと」を調べていくと、逃れることのできない真実として自分の問題点や課題が顕現します。しかし不思議なことに、多くの内観体験者が「内観によって自分の問題点を受け入れたら、気持ちが落ち着いた」と語っているのです。
受容力を鍛える
内観によって感じる「健康的な罪悪感」というものは、事実を事実として向き合う強さを生むわけです。自分の問題と向き合えるようになるわけですね。自分の問題を見る強さ、あるいは自分の問題を受け入れる強さを自分の中に養っていくわけです。これを受容力と呼びますが、受容する力が強くなってくると、どんなことがあってもジタバタしなくなって、冷静に受け止めるようになります。
自分の欠点を見ないようにしていることを劣等感と呼ぶわけですけど、劣等感が強いとそこをちょっと刺激されただけでパニックになったり、ムキになったりしますよね。受け入れたくないから現実で見せられた時にバタバタと慌ててしまう。そこで問題が余計に拗れてしまうわけです。
他人に欠点を指摘されるのは辛いものです。でも自分で欠点を受け入れることが出来ると、「お前バカだな」「そうバカなんだよ」と言えるわけです。色んな事があってもジタバタしなくなる。健康的な罪悪感を得るという事は、精神的な訓練にもなるわけです。
まとめ
このような内観のメンタル強化的側面はスポーツ界でも注目され、様々なトップアスリートも内観に取り組んでいます。個人的には企業などで働く一般社会人のメンタルヘルスケアの一環として内観に取り組んで頂ければと思っています。内観をすると人間関係の改善や社会活動に取り組む精神状態が必ず好転すると実感しているからです。
とは言えやはり内観をしようと思うと「どうも気が重い」というのは皆さんの正直な感想ではないでしょうか。結局のところ「一週間座る覚悟」を持つことがメンタルトレーニングの第一歩なのかもしれませんね。
メンタルトレーニングをしても変わらないもの
内観後は気持ちの高揚もあり、世の中の全てが見違えるほど素晴らしい世界に見えることもあります。しかし一週間で変われたように感じるのは自分だけで、周りの環境や他人は何一つ変わっていないのです。内観は出来ないものが出来るようになる魔法ではありません。
変わらない環境の中で、事実をありのまま捉え、「自分はどうあるか」ということを問い続けながら、判断し行動していくことで人生が変わっていくということを理解しておいてほしいと思います。








