内観が怖いという方へ・・・

内観に対するイメージは人それぞれかもしれませんね。初めて会 った人なのに妙に好意を抱いたり、逆に苦手意識を感じるのと同じで、私たちは過去の経験や自分が持っている知識で未知の物を判断しようとします。しかし多くの場合は目に見えないものや、分からないものに対して怖いという感覚を多くの方が感じるのではないでしょうか。

内観という言葉を聞いて「自分を変えさせられそう」とか「洗脳されそう」という声をよく耳にします。内観の説明を簡単にしたところでも「自分を知るのが怖い」とか「親に感謝するのは嫌だ」という方もいらっしゃいます。
実を言うと内観に出会う前の私も同じ印象を持っていました(笑)
ところで皆さんは鏡を見ながら歯磨きするでしょうか?内観はその鏡を見るという行為とよく似ています。他者との関わりを通して客観的に自分の心をチェックして、「汚れてないかな?」「きれいに保てているかな?」というだけなのです。
それで綺麗にしたくなったのなら掃除をすれば良いし、別にそのままでも構わないというのであれば、それでも良いのです。内観は内を観るというだけの事なので、そこから何を感じ変えていくのかは自分自身の問題なのです。
「自分を知るのが怖い」という方がいらっしゃいましたが、私からすれば鏡を見ずに歯磨きをすることの方がよっぽど恐ろしいことです。綺麗に歯磨きしてるつもりでも青のりが付いているかもしれません。自分の汚れを他人にどう見られているか。この汚れが化膿し菌に侵されたりしたらどうなるか。想像しただけでも恐ろしくなります。
そして歯磨きって毎日しますよね?一回したらずっと綺麗ってわけではないのです。心も同じです。気を付けていてもいつのまにか汚れいているものなのです。だから日常内観が必要になってくるわけですが、日常的に内観が出来るようになるために集中内観をして練習をするわけです。
自転車に乗るのと同じで、一度集中内観をして、内観のコツが分かると「あ。今内観する時だな」「内観してリフレッシュだな」と思った時にすぐ出来るわけです。自転車を持っていて乗ることも出来るのに、わざわざ歩いて遠くまで買い物に行く人はいませんよね。要は自分で自分のメンタルを取り戻す術、楽に生活することができる技を身につけるだけのことなのです。
「自分の考えを変えなければならない」「親に感謝しないといけない」というのは内観ではありません。考え方を変えたくなければ変えなくても良いのです。感謝したくなければしなくても良いのです。内観はそこを重要視していません。ただ、どっちの方が幸せか?と考える際の判断材料を得るために内観をしていた方が、より幸せへの道を選びやすくなります。
また「自分は反省をしたから内観はもう充分」という方がいます。そもそも反省することが内観の目的ではないのですが、例えば殺人という罪を犯した人は一度反省をしたらもう反省しなくても良いということになるのでしょうか。罪を認め、罰を受けたらその事実は無くなるのでしょうか。
被害の事実という傷は一生消えることはないのです。「反省をしたから」といって自分だけは幸せに生きていこうとする人の方がよっぽど人として怖いのであります。
最後に「1週間、普段の生活から離れる」という怖さもあるかもしれませんね。世捨て人じゃない限りそれは間違いなく皆さん不安に思う事でしょう。
年中多忙で何とか1週間の休みを取って内観に来られたある経営者の方がおりました。集中内観が終わった際に「あぁ。1週間私がいなくても会社も世の中もちゃんと進んでいくんですね」と仰いました。


そして家にも1週間も帰らず、迷惑をかけたと思っていたご家族から「1週間お疲れさまでした。おかえりなさい」とねぎらいの声をかけられたそうです。きっと1週間のブランクなどはすぐに取り戻せるほどのやる気と心の栄養を蓄えたので、これからもどんどん活躍していくと思います。


集中内観の研修後に若干浦島太郎感になることは否めないんですが、日常生活で抱える問題を先送りして、人生詰んだりするちょっと前に、1週間くらいは俗世から離れることをお勧めします。

