『内観法』とヨガの『内観』は全く別のもの!?
世の中には色んな内観があるって知っていましたか?
皆さんは「内観」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
最近ではマインドフルネスの流行もあり、心を整える・自分と向き合うというキーワードを耳にすることが増えてきたように感じます。
実は当施設は内観法専門の研修所です。沖縄で約30年間活動してきました。内観の歴史は古く、1937年(昭和12年)に創始者の吉本伊信先生が「身調べ」(悟りを開くための修行法で現在の内観法の基礎)から秘密色、苦行色、宗教色を除き、万人向けの修養法として普及を開始し、1941年(昭和16年)に内観法という言葉が使われ、独自の自己観察方法が確立されました。その後、全国の刑務所や医療界に広がり、日本内観学会が発足。現在も内観の普及と研究が続けられています。また、内観は日本発祥の心理療法として世界へ展開し、内観医学会が発足。欧州や欧米、中国など世界各地に普及され、国際内観療法学会が開催されるなど日本発のnaikanは世界的に広がりを見せています。
この内観法と、最近インターネットで見かけるインナーチャイルドを癒す内観セラピーやヨガで言われる内観とは手法や方向性が異なるという事をご存じでしょうか。その他にも「白隠禅師の内観」や「ヴィルヘルム・ヴントの内観」など、全く異なる手法や使用方法でも内観と称するものがあるのです。当研修所が扱う内観法を敢えて「吉本内観」や「内観療法」と呼ぶのはこのためなのです。
ヨガで言われる内観とは?
ヨガや呼吸法をする際に「自分の内側に意識を向けて」「自分の内側を観察しましょう」「自分と向き合う」「自分と対話する」「身体と心の声を聴く」など聞いたことはありませんか?または、呼吸を整えながら「外側に向いている意識を内側に向けてみましょう」と促され、身体や心の状態を自分の感覚で感じたり、観察することをヨガでは内観だとされているようです。つまり自分の意識や感覚を中心に自らの身体や心と自己対話するという意味です。実はこれ、さっきの「白隠禅師の内観」に性質が似ていて、最近流行っている「自律神経の調整」や「マインドフルネス」に近い側面を持っています。
では、内観法(吉本内観、内観療法)とどのような点が違うのか、その方法と仕組みについて触れてみたいと思います。
内観法は感覚的なものではなく高度な思考作業である
内観法は母親をはじめ、身近な人に対する自分を3つの観点から振り返る作業をします。3つの観点は内観三項目と言われ「してもらったこと、お返ししたこと、迷惑をかけたこと」にまつわる記憶を3年ごとに区切りながら幼少期から現在まで思い出していきます。



その際ポイントとなるのが、「具体的な事実を」「相手の立場に立って考える」ということです。一言で言うと非常に簡単なように思えますが、このポイントを抑えて3つの観点から自分の歴史を振り返れる人はまずいません。内観法とは「具体的事実を基礎に他者の立場に立って自分を省みる」思考的な作業なのです。

今の自分の意識や感覚を中心に自らの身体や心と自己対話するヨーガの内観に対し、内観法は主観的な感覚や気持ち・感情、イメージ、さらには一般的な常識やあるべき論も必要ではありません。「ああだったかもしれない」「こうだったら良かった」というあいまいな認識や自分本位の想像も一切排除していきます。
「過去の具体的な事実」を基に自分以外の他者の立場に立って自分を振り返る「他者視点」「客観性」を重要視し、「ありのままの事実」つまり「その時そこにあった現実の自分の姿」を直視することが求められます。
一言で言うなら心や身体と対話するのがヨーガの内観であり、自らのあり方・生き方を問う作業が内観法(吉本内観)なのです。近年流行しているマインドフルネスの「今、ここ」という感覚ではなく「今の自分を作り上げたのは過去の自分の行いの結果である」という逆算的な視点も内観法(吉本内観)の特徴かもしれません。
“癒し”と“感情の整理”の内観と内観法は何が違うのか?
「インナーチャイルドを癒す」「チャイルドチルドレンを認める」内観セラピーといったものも近年多く見られるようになりました。それらのサイトでは多くが「自分探し」や「感情を整理する」というキーワードを多用しているようです。たとえば、「傷ついたインナーチャイルドを癒す内観セラピー」系の中では、叶えられなかった想いや、なりたかった自己像を認め、受け入れ、癒していくことが中心になります。そこでは、「自分の価値観に気づく」「本当の自分を大切にする」「理想の人生へ向かう」といった方向へ進みやすく、結果として「どういう自分でありたいか」という“自己像”を再構築していく営みになりやすいのです。つまり、「こうありたい自分(我)」を見つけ、整え、肯定していく方向です。それを「自分探し」と称していることが多いわけですね。
しかし、同じ「内観」という言葉を使っていても、吉本伊信の内観法とは構造も目的も大きく異なります。内観法が行っていることはそれとは正反対なのです。
内観法で起こる“ほんとうの自分”との出会いかた
内観法では、自分が作り上げてきた「悲劇の主人公としての自己像」を、別の角度から事実によって検証していきます。しかもそれは、感情や解釈ではなく、「言い逃れのできない具体的事実」を通して行われます。その結果、「自分は被害者だった」「愛されてこなかった」「理解されなかった」という前提だけでは、自分が成り立たなくなっていく現象が起こるのです。
つまり内観とは、「こうありたい自分」に気づくことではなく、「こうありたい自分(我)が崩れていく」過程に本質があるのです。だからこそ、内観では傷ついた感情やトラウマを掘り下げたり、吐き出させたりはしません。感情を否定するわけではありませんが、「傷ついた自分側」からだけ世界を見る状態に留まり続けないのです。
むしろ、逆内観三項目(してもらえなかったこと、してあげられなかったこと、迷惑かけられたこと)の思考で生きてきた自分自身を、今まで見てこなかった角度から事実によって容赦なく見直していく。その結果として、長年維持してきた「悲劇の主人公としての自己像」が崩れていく。そこに、内観法の本質があります。これは内観法の「自己防衛・自己正当化が成立しにくい」という独自の構造があるからなんです。内観法は解釈論や感情、意味づけよりも、内観三項目による具体的な事実への直面を重視します。「私はこうだから」という自己理解ではなく、否定不能な事実を直視することで “都合のいい解釈へ逃げ続けられなくなる”構造を有したものが内観法なのです。
内観法は苦行色を取り除いたとされていますが、「自己防衛・自己正当化が通用しなくなる」というのは現代の人、特に癒しや自己の価値観を認めてほしい人にとっては少々辛いことかもしれません。内観法とは自己中心的な自分に気付き、周囲を振り回している自分自身の行いを見つめ、謙虚で自立した人格形成を目指す修養法なのです。
